会津中街道 を歩く
  三斗小屋宿から麦飯坂を辿る          H14,6,19
 梅雨の晴れ間を利用して、那須にきたが強風が荒れ狂い、仕方なく転戦する。
三斗小屋宿の広場から眺める、先日登った井戸沢と流石山の稜線。
 夏草のむせかえる匂いと、五月蠅いほどの蝉時雨、今日来て良かったしみじみ思う、
休んで居るうちに、苦土川に向かって一本の道が続いているのに気がついた。
林のトンネルの向こうに、折れた大木が立っている。近寄ってみると驚いたことにそれは
鳥居の石柱ではないか、右側のは根元から折れ、笠木と共に転がっていた。ここからつづ
ら折りに苦土川の河原に下り、白湯山神社に参拝した道なのだ、いずれ又、詣でて見たい。
三斗小屋宿から広い道を下ると、六地蔵と並んで戊辰戦死若干墓が、右手にある。
続いてあるのは三斗小屋宿の墓地で、石塔 石仏など40〜50を数える。
ちょっと下った道の両脇に小さな石仏がある、村の入り口に当たるのかもしれない。
カランカランと熊よけの鈴をつけた登山者が登ってきた。腰には鉈を、手にはスプレーを
持って。どこにいくの?と聞くと、峠沢に行きます。又一人登ってきた、かなり年輩の
方で、姥が平に行きたいと言う、沼原の道標をみてきたらここに出た。
かなりの軽装なので戻った方が良いと注意する。
 深山ダムの分岐となる、深山ダムの方に20分ほど歩くと、苦土川の
 橋を渡った所に駐車場がある。覚えておくと良い。
 沼原は左に曲がる。看板に熊に注意の但し書きがある、一人歩きはそれなりの装備があっ
た方がよいかもしれない。
 沢音が大きくなると苦土川となる、水は白く濁り水量は多い。
鉄骨で作った吊り橋は 水害で無惨にも壊れ、丸木橋が仮設されている。
沢を渡ると青い屋根の小屋が一軒ある。誰の小屋なのか?  興味津々
 澄川を丸木橋で渡ると麦飯坂の300Mを登る。電光形に作られた道は歩きやすい。
馬が歩く道は、ゆったりしているが、所々は登山者がつけた急な道がある。
ネマガリダケの藪に眼を凝らすと昔の道型らしきものがある。深くえぐれた馬の轍の跡が
それを物語っている。麦飯坂の中間地点に天保11年の石仏が鎮座している。
 振り返ると、栃の木の間から大峠から流石山に掛けての稜線が眺められる。
麦飯坂の由来となったのはこのあたりなのか、昔馬方は、坂の途中から オーイ今帰るぞ
と 三斗小屋宿に向かって怒鳴ると、丁度、宿に着く頃、麦飯が 炊けているというほど
険しく大変な坂だったという。聞こえる筈もないが オーイ今帰るぞ と怒鳴ってみた。
 坂を登りきる頃、左手に又 昔の道型が藪の中に消えて行った。時間があったら
歩いて見たいと思う。大木を背に白湯山地蔵尊がお立ちになっていて、お賽銭が沢山上がっ
ている。落ち葉を敷き詰めたような歩きやすい道を行くと、木道が現れる。
三斗小屋温泉の分岐を過ぎると、沼原の東屋の前に出る。丁度レンゲツツジの花が満開で沢
山の人で、賑わっている。
会津中街道は子守石から先はすっかり変貌してしまったが、次回の楽しみにしよう。