原街道その2   「小島宿から黒磯まで」 平成17年9月9日

小島宿7時15分〜漆塚7時30分〜高久宿9時20分〜黒磯駅10時40分
矢板駅発5時55分に乗車して黒田原駅着6時33分。
東北本線の踏切を渡ってスタート地点の小島宿まで3km、この付近の下には
東北新幹線のトンネルがあるという珍しい場所でもある。
小島宿から15分ほどで余笹川を渡る。橋も護岸も立派に直されているが、ここ
は平成10年の8月に1.254mmの大雨が降り、大洪水が起きたところである。
四つ川橋付近の電柱には最高水位の表示が幾つか見ることができた。
漆塚は明治6年に陸運会社が創設されたときの宿駅だそうで、羽原、狸久保、
廻谷を経由して高久に出たと言うこともあったそうである。コンクリートの
街道に飽き飽きしているので一度はこの細道を辿って見たい気もする。
黒磯市誌に寄ると笹塚という地名が出てくるが、笹塚は小島宿なのか?漆塚な
のか?今後の課題として資料を探してみる必要がある。
上川の蕎麦屋の看板を過ぎ、今が満開のサルスベリを眺めながら歩くと田圃の
中の大岩に道祖神が祭ってあった、新田を過ぎて振り返ると山の際に赤い屋根
の古い薬師堂と境内に那須町の銘木「ヤブツバキ樹齢190年」があったが、満
開の時にのんびり来て見ようと思う。
山の中腹に石碑が目についたので急な階段を登ってみると明治37、38年の戦没
記念碑があり木陰で休憩する。原街道は湿地が多く坂あり谷ありで馬も難渋し
たというが明治17年、栃木県令「三島通庸」が宇都宮〜白河間に新国道を開通
させた。白河から高久まで大部分は原街道を改修して道幅を広げたにすぎない
ので、降雨後は車も立ち往生するなど陸の玄界灘と恐れられたこともあった。
単調な街道も弓落までで、国道4号線のバイパス分岐から右に曲がる。
東北高速道路の取り付き陸橋をくぐると丸山で幾つか道祖神が並んでいる。
間もなく高久本郷で問屋は高久家。今は改築されてその面影はないが入り口に
奥の細道で有名な芭蕉が泊まったと言う「芭蕉二泊の地」の石碑がある。高久
家の裏手には「芭蕉庵桃青君碑」と刻まれた芭蕉翁塚が建っている。愛宕山公
園の道を登りきると、ショッピングセンターに出るがお店の間をそのまま真っ
直ぐ農道を進むとガソリンスタンドの脇に出る。
間もなく那須街道の十文字で、原街道は那珂川の晩翠橋を渡らずに左の門柱に
入っていくと雑木林に一筋の道方がある。やがてジクザク道を下ると河原に出
る。昔は木橋があったというが、洪水の度に流されて近郷近在では大変な苦労
があったという。戻り直して晩翠橋を渡り信号を左に行くと変形十字路に
「白湯山供養碑」安政二年(1855)があって、右奥州海道、左三斗小屋道が刻
まれている。右奥州海道を下って行くと沢山の馬頭尊があり馬方の苦労を忍ば
せてくれる。那珂川の川幅は広く水量も多くて渡渉の困難と、絶壁の登り下り
が街道一番の難所であったろう。白湯山供養碑まで戻り黒磯市内に入っていく。
道幅2間の直線道路が黒磯神社を経て共墾社まで続くが今回は黒磯駅で終了す
る。

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