地域研究 会津中街道 「矢板から片岡まで」 を歩く 小林 充 天和三年(一六八三)鬼怒川の上流で、山崩れの為川がせき止め られ、それまでの会津西街道が通行不能になってしまった。物資輪 送に支障をきたしたため、これに替わる街道として、元禄八年(一 六九五)完成したのが、会津中街道でした。この街道は氏家−矢板 −石上−高林−板室−三斗小屋−大峠−野際新田と言う順路でした。 矢板市農協の近くに、左江戸道、右日光道の道標がありますが、こ の付近が日光北街道と会津中街道の十字路です。以前に矢板から山 田まで歩いたことがあるので、今回は此処から片岡まで歩きだすこ とにした。真っすぐに伸びた農道を川崎反町に向かう。古い道は子 供の頃よく水泳ぎした(おすて淵)を通って川崎へ続いていた。昔 の城下町で今でも家並が残っている。町の入口には古い墓塔等があ る薬師堂がある。 西側には城跡があり、川崎城跡と書いた大きな 看板が立っています。宮川の畔では、一億円かけて温泉のボーリン グをしています。宮川を渡り十軒ほどの田町を抜けると、田圃の中 に古い道が続きます。右の田圃の中に首切地蔵が立っています。右 に別れる道は館の川に通じています。この道を少し行くと(北久保 地蔵)があります。モーテルの前には新しく整備した道標があり、 右田所・大宮、左乙畑・氏家と微かに読める。農家の庭先を借りる 様な細道を行くと、旧四号線に出ます。道は大谷石で作った消防小 屋の裏から東北本線の踏み切りに向かいます。この付近は境林の村 で一里塚があったそうです。踏み切りを渡ると左側は、山林が続い ています。右側は田圃でとても静かな道です。会津の殿様が「下に ー 下にー」と歩いたのでしょうか?考えるとなんだか楽しくなり ます。家が表れると前岡の村で、道は「りんご園」のところから前 方の森の右手のほうへ行きます。東北本線の線路近くに(愛宕地蔵) があります。踏み切りを渡ったらすぐ左に曲がり、田圃の中の道を 斜めに旧四号線に出でます。渡る川は江川で小魚が沢山泳いでいま す。二〇〇メートルほど歩くと林の中に石仏が立っています。矢板 インターチェンジの陸橋をくぐったら岳友漆原君雄宅の内の小道に 入ります。日本調理機への道路を横切り、通岡神社の前に行きます。 眺めが良い静かな道です。エンプラスヘの道路を横切ります。車一 台通るぐらいの道ですが住宅街の道なりに歩きます。石関玉田街道 を横切り新幹線の下を通り片岡保育所脇に出ます。T字路になり右 に少し歩くと左に入る山道があります。古い街道の雰囲気が残る林 の中てす。近い将来道路を作るのでしょうか、測量の杭がありまし た。石関大槻街道を横切り山道に入ります。住宅団地が近いのでゴ ミの山です。簡易舗装道路に出てから一〇分も歩くと乙畑です。乙 畑には太鼓塚があるとのことですが、畑仕事をしている人に聞いた ら今は地名だけだそうです。東北本線の踏み切りを渡ると、国道四 号線に出ます。旧会津中街道はここから氏家までは現在と同じらし いです。この街道も亨保八年(一七二三)五十里洪水の結果、会津 西街道が通行不能になったので自然と寂れていきました。強者ども の夢のあとではありませんが、古いものも残しておくのも私達の努 の様な気がしました。