草原の病院にて
                          高橋敬一

 あわただしく一通りの検査を終えると、私は病室に寝かされ、カ

ーテンが閉じられた。夜中じゅうひっきりなしに看護婦さんが容体

を診にくる。

「あなた頭を打ってるわ。念のためいくつか質問をするから答えて

ね。今日は何月何日?」

「1月1日です。もう2日になったかな?」

「ここはどこ?」

「え? え−と、カンタベリ−平野のどこかだと思いますが、え−

と」

「ティマルよ。ティマルのパブリック・ホスピタル」

「ああ、そうです。そうでした」

「右はどつち?」

「こつち」

「じゃ、私の手を握ってみて」

「はい」

 息をするのは相変わらず苦しいのだけれど、病院のきれいなベッ

ドの上にいるのは気持ちがいい。

 そのうち長い夜も終わり、カーテンの向こう側もすこしずつ明る

くなってきた。

 廊下で誰かが立ち話をしている。ワゴンの音が静かな病院内にひ

びく。

 私はトイレにいきたかったが、体が思うようには動かない。

 それでもやっとの思いで、ベッドの回りのカーテンを引いた。

「やあ、おはよう。どうだい調子は」

 隣のベッドのおじいさんがこちらを向いてにこにこ笑っている。

「きのう、きみがかつぎ込まれるのを見とったよ。痛むかね?」

「いえ、だいぷ楽になりました。 あいたたたた」

「動かんほうがいい。そうそう、きみのことが新聞にでとる。ほら

ここだ」

 そう言ってベッドから身を乗り出し、新聞を私の顔の前に差し出

してくれた。

 第1面に、美しい女性の写真がでかでかと載っている。むむむ・

・。どこを見てよいものやら分からなくなってしまって、仕方なく

新聞の名前をみると、ティマル・トリビユーンと書いてある。 外

国では一般に地方紙が発達し、市ごとに立派な新聞が出されている

ことが多い。これもそうした新聞のひとつで、さきほどの美女は、

クリスマスの時に選ばれたミスなんとかで、何人か選ばれたらしく

翌日の新聞にも別の女性の写真が載っていた。

「ここじゃよ、ここ」

 美女の右下のところにマウント・クックで2人が怪我をしたと書

いてある。一人は日本人だが、彼はいまティマル・ホスピタルに入

院している。容体は・・・・、などと書いてある。

「どう? 痛む?」

 そこへ若い看護婦さんが入ってきた。

「今日はあたしがあなたの担当よ。あなたのこと新聞にでてたわ。

知ってる?」

「・・・ええ、・・・いま見せてもらいました」

 血がこびりついたままの顔でそう言うと、

「アン、記念に切り抜いておいてやってくれな」

 先程の老人、カルマン氏が笑った。

 そこへ温顔のドクターが入ってきた。

「気分はどうかな? きみは顔と胸と、それに腎臓をやられている。

これから検査をするからね」

 それからにこりと笑って、

「君は運がよかった、実に運がよかった」

 そう言った。

 検査は午前中で済み、ドクターの話では、なんとか日本へ帰れる

だろうということになった。

            *

「ほしいものがあったらいいなさい。きみはさいふも持っとらんの

だろう?」

 カルマン老人が言う。さっそくオレンジジュースがきた。

 ニュー・ジーランドは湿度が低いのですぐにのどが乾く。

「わしが自由に歩けたらこの町を案内してやるんだが・・・」

 彼の祖先はスコットランドからここへやってきた。そして代々牧

場を経営している。

「君の隣の、スキナーだが、かれの祖父と私の祖父は酒飲み友達だ

ったのだよ.」

 スキナー老もやってきて、懐かしい昔話はいつまでも尽きない。

 そこヘアンがやってきた。

「かさぶた、取ってあげるわ」

 そして、う−ん、と難しい顔をしながら、私の顔を覗き込み、ピ

ンセットでかさぶたを取っていく。

 墜落の時顔を打ち、鼻からだいぶ出血したので、鼻から口にかけ

てが見られたものではない。そのうえ日焼けで顔全体が仮面のよう

な感じがする。顔の右半分はばんばんに張れ上がって、まぶたはく

っつき、口もよくは開かない。

 からだはあちこち痛み、ベッドを下りるのもひと苦労だった。こ

うなってしまっては、もはや如何ともしがたかった。なるがまま、

されるがままで、入れかわり立ちかわり現われる看護婦さんに、で

きるかぎりのスマートな笑顔をつくって愛敬をふりまくしかなかっ

た。

            *

 私のいた病室には、私を含めて6人がいた。入って左手に、カル

マン氏、私、スキナー氏の3人、そして右手にも3人。

 いずれも私を除いて老人ばかりであった。 カルマン氏は白髪の

痩せ形の人で、腎臓が悪いそうで、もうずいぶん長いこと入院して

いるらしい。

 趣味は競馬で、馬も持っている。

 二ユー・ジーランドでは競馬はギャンブルというよりは、日本の

野球やすもうみたいな感じで古くから親しまれているらしかった。

 競馬にもいくつか種類があり、カルマン氏は、そのうちのハーネ

ス・レースが専門だった。

 雑誌をみせてもらったが、馬のうしろに古代ローマの戦車(チャ

リオ)のようなものをつけて走る。

 様々な馬の写真もでており、こんな馬はいいねえ、うん、いいね

え、でも高いんだよ、などと、熱心に説明してくれる。

 左となりのスキナー氏は、がっしりとした体格の物静かな人物で

あつた。やはり放牧をしている。

 私の向かいの3人のうち、いちばん窓際にいるおじいさんは、も

うちょっとばかりぼけかかつている。年令もこの部屋の中では一番

上らしかった。

 昼間は窓際の椅子にすわり、一日中ひなたぼっこをしている。昼

のデザー卜に私がプリン(ものすごく甘いやつ)をスプーンで食べ

ていると、

「わ、わしも、スプーンが欲しい」

 と看護婦さんに言う。

「あーら、これは?」

 と、彼女が彼の前の小さなスプーンを指差すと、

「こ、これは、スープを食べるやつじゃ。プリンを食べるにはまた

別のがいるんじゃ」

 と、言う。彼女は私の方を見てくすっと笑い、小さなスプーンを

さがしに部屋を出ていった。

 その隣、私の真向かいにいる人は、明るい人のよいお爺ちゃんで

目が会うと必ず、

「お−い、若いの。どうじゃ、気分は」

 と聞いてくる。

 先程のぼけたおじいちゃんのめんどうもよく見て、彼のぐちを聞

いては、

「そうとも、そうとも」

 と頷いている。

 いちばん右端のドアの近くにいる老∧は、ずっとベッドの上に寝

たままだった。なにかいつも苦しそうな顔をしていて、気の毒であ

った。

 面会時間は午前と午後にある。お茶を飲みおわってベッドの上で

うとうとしていると、ぞろぞろと面会の人たちが入ってくる。

 カルマン氏をその奥さん、息子夫婦と孫が取り巻く。少々がんこ

なカルマン氏もこのときはだらしなくメロメロになる。今にも泣き

だしそうな感じで抱擁し、キスをする。

 そのうち、カルマン氏がみなに私を紹介した。

 私はここで、またありったけの愛敬をふりまいた。カルマン氏の

奥さんはどこかサッチャー首相を思わせる感じで、なにせ圧倒的で

あった。お化粧もきついけど、香水もなかなかだった。

「おからだ、大丈夫? でも病院に入ればもう安心よ。このたびは

日本の方々が飛行機事故で亡くなられて、私も大変ショックです。

お知り合いの方がいらして?」

「いえ、新聞で読みましたが仲間ではありませんでした。でも、あ

の事故の時は私の仲間もミルフォード・サウンドのあたりにいたは

ずでしたから、危なかったです」

「よかったわ。そうだわ、ベッドの上ではひまでしょう。午後にな

ったら、本を持ってきてあげるわ」

 子供達は私のベッドのわきにやってきて、にこにこ笑っている。

「やあ、はじめまして」

「こんにちは」

 私の右目を指差して、

「腫れてるわ」

 と、言う。

「うん、ちょっとひどいけど、ほんとはもっといい男なんだよ」

 他のベッドにもいろいろとおみまいの人々が来ているが、私の向

かいのあの人のよいお爺さんのところはとりわけ賑やかである。

 お孫さんからの贈り物を開いては、

「おお! こいつはすごいぞ!」

 とか、

「やあ、みてごらんよ!」

 そう言って私の方にも見せてくれる。

 それでも、やはり、だれもおみまいにこないベッドもあって、面

会が終わり、また静かな病室に戻ってほっとすることもあった。

 午後の面会の時間には、またカルマン夫人が現われ、分厚いニュ

一・ジーランドの本とお菓子を持ってきてくれた。

 むすめさんのダンナが、ページをひとつひとつめくって説明して

くれる。

 彼らはいま、クライスト・チャーチに住んでいる。

「帰りに寄りなよ。これが住所で、これが電話番号だ。市内からこ

のダイヤルを回せば通じる。じやあ、ゆっくり休みなよ」

 そう言って帰っていった。

            *

 ニュー・ジーランドの病室内は実に明るくそしてすがすがしく、

清潔である。

 朝になると看護婦さんがやってきて、窓を開け風を入れてくれる。

次いで別の人が現われ、室内を掃除し、ベッド脇のゴミを片付け床

を拭く。

 患者さんはスリッパを履く人もいるが裸足で歩く人もいる。ゴミ

くずなんか落ちてないし、乾燥していてべとべとすることがないの

で、裸足でもまったく気にならない。

 シャワー室が空くと、看護婦さんが呼びに来てくれる。私は病院

で借りただぼだぼのパジャマを着て、廊下をペたペた歩いて行く。

「まあ、似合ってるわ!」

 と、言ってくれるわりには、顔が笑っている。

 鏡に顔を写すと、まるで他人だった。

 ほんとはどっぷりお湯に浸かりたいのだけど、ここは日本ではな

いのだ。

 ひさしぷりのシャワーはほっとする。すっかりすがすがしくなっ

てベッドに戻った。

 食事はもちろん、朝・昼・晩の3回でる。朝はパンとべ−コン、

エッグにコーヒー。量は多い。昼にもかなりの量がでるが、私は体

調が悪くあんまり食べられない。

 2日目の昼には、フルーツやプリンをいっぱい積んだワゴンを押

して看護婦さんが入ってきた。

 私はずっとフルーツを食べたいと思っていたのだ。

「ミスタ・タカハーシ、お昼食べる?」

「ええ、いただきます!」

「ちょっと待っててね」

 彼女はフルーツをほっぱらかしたまんま、病室を出ていってしま

つた。そしてしばらくたってから、なんと分厚いステーキを持って

入ってきた。

「はい・お昼よ。やっぱりこれくらい食べなくちゃね」

 そして、窓際のぼけたおじいちゃんに向かって、

「ほら、ミスタ・タカハーシみたいにちゃんと食べなきゃ、治らな

いわよ」

「わしゃ、わしゃあ、彼みたいに若くはないんじゃ」

 彼女は私の方を振り向き、

「フルーツ食べる?」

「え?、ええ、ええ、いただきます」

 お腹がいっぱいで、うう、これはいけない。あしたはもっと気を

付けなくっちゃ、などと思っていると、あっという間に午後のお茶

の時間になる。

 かわいらしい感じの看護婦さんが入ってきて、

「お茶、飲みます?」

 などと言うものだから、

「ええ、ええ、いただきます」

「お砂糖と、ミルクは?」

「ええ、ええ、お願いします」

 お茶の時間が終わると、またあっという間に夕食の時間である。

「お肉にする? それともお魚?」

 私はたいして考えもせず、

「うーんと、じゃ、魚」

 などと言ってしまったが、彼女はちょっと驚いたふうで、あわて

て魚をとりに行った。「ニュー・ジーランドではあまりお魚は食べ

ないのよ」

 魚料理を持ってきてくれた彼女がそう言う。私は恐縮してしまっ

た。

            *

 看護婦さんにもいろんな人がいる。初めに面倒を見てくれたアン

は活発なあねさん風の人で、病室の前を通るたびに私のとこへ寄っ

てくれる。

「ガイドもなしに登るなんてクレイジーだわ」

 と、怒ったふうに言うが、それ以後いろいろと一番気を使ってく

れたのも彼女であつた。

 婦長さんは、でっぷりと太ったきもったまかあさんみたいな人で

人差し指をふりながら、

「ちゃ−んといい子にしてなきやだめよ。そうね。食事もちゃんと

食べてるようだし。まあまあね」

 そして体温計を口に差し込む。日本でさえ入院などしたことのな

かった私はこれにはびっくりした。

 看護婦さんの中に、文学少女風の人が一人いた。五十近いのでは

なかったかと思うが、銀髪の髪の長い人だった。

「むかしね、日本の女の子が入院してたことがあるの。彼女もタカ

ハシつていう名前だつたわ。もしかしてお知り合い?」

「ええっと、タカハシは日本ではとても多い名字ですから・・・。

彼女はなんで入院してたんですか?」

「交通事故よ、お父様と一緒に旅行してたのだけど・・。おとう様

はたいしたこともなくて、お仕事もあったし日本へ帰らなくっちゃ

いけなかったの。彼女泣いてたわ」

「ええ」

「でも、すぐに慣れて、とってもいい子だったわ。3ケ月いたけど

退院の時は私も泣いてしまったの」

「日本へは行かれたことありますか?」

「いいえ、行きたいとは思ってるんだけど・・・ 」

 そして、ベッドのわきのバラを見て・

「まあ、きれい! 日本にもバラはあって?」

「ええ。でもニュー・ジーランドのバラのほうがずっときれいです」

「まあ、そう?」

 他の看護婦さんは、少々、彼女のことをけむたがっている風だっ

たが、病室に他の看護婦がいないと、彼女はよくやってきて日本の

ことをあれこれと聞いていくのだった。

 お茶を持ってきてくれる看護婦さんはまだあどけない感じの二十

前の人であった。

「あなたのこと新聞で読んだわ。あんなとこから無事帰ってくるな

んてすごいわ」

 などと言ってくれた。

            *

 私が退院したのは入院してから3日日の午後のことだった。

 つねに親切で、愛情にあふれていたニュー・ジーランドの人々!

 いつの日か私は再びあの国を訪れ、美しい自然の中で、あのすば

らしい人々に再会したいと思うのだ。