二十年ぶりの山
                                      梅原 浩

78年2月 京都北山
芹生峠にて
98年4月 京都北山
愛宕山にて
  山陰線の下り列車に揺られながら、まるで二十年前の恋人にでも出会うかの

様なドキドキとした気分になっていた。まさかふるさとのこの山に、もう一度

登る機会が訪れるとは・・・。

  昭和五十三年二月、友人と二人で、大原から天ケ岳を経て、寺山峠で幕営し

雲取山から芹生峠、貴船口へと歩いたのが最後だった。

  その年の五月に、転勤で栃木に移って以来、山登りの舞台は日光や那須など

の関東以北の山々となり、年に一度か二度帰省しても、ふるさとの山々へ登る

ことはなかった。

  明日、その「北山」に二十年ぶりに再会するのである。

  「京都北山」は京都市内の北から、日本海にまで連なる広大な山域である。

昭文社の四万分の一地図では「京都北山1、2」と二冊に分けて描かれている

ことからもその広大さが伺える。

  最高峰の皆子山(九七二メートル)を始めとして、千メートルにも満たない

山々が無数に連なり、古くから山城三十座、北山三十名山なる言葉で、山名が

数えられ、地元の人々や、登山者などから親しまれてきた。

  また、北山杉を伐り出すための、木馬道が谷をうめ、あちこちに残る、廃村

や石仏、峠などにも人々と山とが古来から一体となって生きてきた証をうかが

い知る事ができる。

  北山へのアプローチとしては、東から、敦賀街道(大原)、鞍馬街道、雲ケ

畑街道、周山街道の四つがある。

  今回は、更にその西に位置する保津峡から清滝を経て、信仰の山「愛宕山」

へと登るルートを選ぶことにする。

  地図を見ながら、あれやこれやと昔を思い出しながらいつのまにか、眠って

しまったが、案の上あくる朝は五時に眼がさめてしまった。



  朝食をしっかりととり、六時過ぎの天気予報を聞く。

 『京都府南部、天気は晴れ、降水確立は0%、最高気温は28℃・・・・』

  四月末と言うのに、この暑さ・・・今日は暑い一日になりそうなので「水」

をたっぷりと用意し、七時四分、綾部発の京都行き普通電車に乗り込む。

  八時三十六分、JR山陰線の保津峡駅に着いたがどうした別けか、全く見覚

えがない。帰省の際、毎年通っている路線であるが、この駅で降りたのは二十

数年振りであり、その間に新しい駅に変わっていたのだった。昔の保津峡駅は

今はトロッコ電車の駅になり、新しい駅の周辺には無数のトンネルが掘られ、

様変わりしていた。

  時代の移り変わりに、妙な気分になったが、気を取り直し舗装された林道を

清滝へと向かう。

  途中、落合橋の手前で、トンネルの向こうからゆっくりと歩いてきたご老人

とあいさつを交わす。

『おはようございます』『これから、あたごさんへいかれるんでっか』『はい』

『ごくろうはんどす。きぃつけて』『ありがとうございます』・・ほんの短い

会話だったが、ふるさとの山に帰ってきたという実感がわき、ぐっと気分が明

るくなってきた。

  落合橋から清滝までは、東海自然遊歩道を行く。渓流沿いには、野外炊飯を

楽しもうという家族連れや若者たちが多数入っていたが、滝川の左岸の遊歩道

を歩く人は意外に少なく、水の音や鳥の声聞きながら軽快なペースで歩く。

  間もなくして清滝に着いたが、今日はたまたま、右京区の市民登山の日と重

なった様で、愛宕表参道の下では役員の方々がその準備に追われていた。その

横を通り過ぎ、堂尻川沿いの林道を歩き、月輪寺から愛宕山を目指すコースを

とる。

  空也の滝入口で始めての休息をとり、松林の急坂の登りにかかる。やはり、

二十年の歳月はすごいもので以前たどったコースと全く同じなのに、何故か記

憶にない。『おかしいなあ。たしかここを歩いたはずだったんだが・・・』と

思いながらも、快ピッチで登り続けたが、『あーあ、やっぱりあそこを歩いた

なあ』という記憶が節々でよみがえったのは、それよりもずーっと後の事だっ

た。

  ほどなく「やはり記憶にない月輪寺」に到着し大休止をする。本堂脇に建て

られた「〇〇さん三千回登山記念の碑」やそれらの新聞の切り抜きを見ながら

どの山にも何百回も登る人はいるが、『すごいなあ』と今日は妙に素直に感心

させられる。

  月輪寺を後にし、最後の急坂を登りきると、愛宕山神社直下の林道にでた。

そこからほんの数分で神社下の広場に着いたが、さきほどまでの静けさとはう

って変わって、ものすごく多い人々がガヤガヤと昼食をとっていたのには、驚

いてしまった。右京区の市民登山の人々なのだろうが、まるで町なかの公園で

お花見でもしている様なにぎやかさである。

  石段下の休息所で昼食をとったが、早々にその場を離れることにする。

  愛宕山神社でお参りをしてから、登ってきた道を少し戻り、北を目指す。し

ばらくの間、単独の年配の方と同行する事になり、言葉を交わす。

『これからどこへ行かれるんですか?』『首無地蔵から朝日へ・・あんたはん

は?』『竜ケ岳へ・・』『竜でっか!竜もええでぇすなあ・・芦見谷はちょう

ど石楠花が見頃で、時間があれば行かれたらどうでっか?』『ありがとうござ

います・・ではお気をつけて・・』

  首無地蔵へ行く道と竜ケ岳、地蔵山へ行く道の分岐で別れると、一人になり

元の静寂の世界に戻る。地蔵山は以前行っているので、竜ケ岳をピストンする

。北山はメインルートを外れると「ヤブコギ」が定番で、昔の地蔵山もそうだ

ったが、地元の山岳会かだれかが刈り払いをしてくれたのだろうか?非常に良

く整備され歩きやすい。思わず栃木の高原山を歩いている様な錯覚を覚える。

  竜ケ岳頂上からは、今歩いてきた愛宕山方面や京都市内の広沢の池方面の展

望がいい。芦見谷へ下って『石楠花を見てこようかな』とも一瞬考えたが、今

晩は久しぶりに親父と晩飯を食べる約束をしていたのを思い出し、下山するこ

とにする。

  竜ケ岳の分岐、地蔵山への分岐を経て、神明峠、愛宕谷川林道へと休みもと

らずにただひたすら下る。愛宕山を出てから三時間余り歩き続けたので保津町

へ出た頃には、太股がパンパンに張り、膝も痛みだした。最後はぼろぼろにな

がらも午後3時20分頃、JR亀岡駅にゴーーール。



  久々にふるさとの山を歩いた満足感が広がった。

  しかし、残念だった事がただ一つ・・・。林道のあちこちに捨てられた粗大

ゴミ、生活ゴミの山・・・。いつのまに北山はこんなに汚されてしまったのだ

ろう。下山した林道を歩くのも気が重くなり、最後はわきめもふらずに、ただ

ただ歩いた。

  我愛するヤブ山、我愛する北山が、いつまでも美しい山として次世代に受け

継いで行くために・・・心ない人々が減り、北山がまた再び美しい山となるこ

とを祈りつつ、亀岡からの下り列車に乗り込んだ。