エヴェレスト街道
                                       蓮實 淳夫

ルクラの飛行場 エヴェレストを眺める

 神の使いとして扱われる牛が、路上に糞や尿を落して行くから、先ずはこの

匂いに閉口する。しかし、嗅覚の麻痺とともに、視覚の感動がすべての匂いを

消してくれる。氷河を抱いた鋭い岩峰や急斜面に造成された段々畑とそこに点

在する家々、どこを向いても日本にはない風景だ。

  ヒマラヤの白き神々の座の一角を展望しようとして、ここネパールのクーン

ブ地方のエヴェレスト街道を辿っているのである。

  街道には、そこで生活している民族の濃き匂いというものが存在している。

それは、単なる生物的匂いでは無く、血と汗の織り成す歴史の匂いである。

  エヴェレスト街道には、シェルパ(東北の種族の意味)だけでなく世界各地

からやって来た登山隊の匂いが今も持続している。数え切れないほどの多くの

失敗を踏み台とした僅かの成功を、歴史は栄光として記録する。それには、胸

苦しさを時には感じるほどだが、世界の屋根を舞台として演じた人類の冒険心

に限り無い魅力を抱くこともできる。

  別ても、1921年より始めたイギリス隊のエヴェレスト攻撃は凄まじい。

登頂に成功したのは、1953年5月29日で、遠征10度目のことであった

。それも、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーとネパールのテンジン・

ノルケイの二人だけだった。

  この時の記録映画を、私は中学時代に観たことがある。そして、その物量作

戦を今も鮮明に記憶している。

  それ以来、エヴェレストをじっくりと眺めて見たい気持ちが我が胸に芽生え

、登山行動を続ける内に更に成長してきた気がする。

  1997年の大晦日、やっとその日が巡って来た。思えば長い年月だった。

  ネパールの首都カトマンズから東に約160キロメートル離れた場所は、ク

ーンブ地方と呼ばれ、岩峰と深い谷で構成される世界である。そこに、世界の

最高峰であるエヴェレスト(ネパール名サガルマータ・中国名チョモランマ)

が存在しているのだから、一生に一度は自分の目で8848メートルの大地の

突起を確認したいという人々が世界各地からやって来ることになる。

  標高2800メートルのルクラという村に小さな飛行場が出来たお陰で、エ

ヴェレスト展望トレッキングも楽になった。かっては、カトマンズからここま

で一週間かかったのである。幅が狭く砂利で、しかも傾斜になっている滑走路

は、世界広しとは言えルクラだけではなかろうか。ここへ、ヘリコプターでカ

トマンズから約四十分で来てしまった。

  注文してから終了まで、何と二時間を費やした昼食の後、陽気で若い二人の

男性ポーターを雇い、ナムチェ・バザールという村へ向けて出発した。

  殆どがシェルパ族と思われる現地の人々とナマステ(今日は)と挨拶を交わ

しつつ、左手下方にドウドウ・コシ(ミルクの様に白濁している川の意味)の

豊かな流れを眺めながら、ビスタリー・ビスタリー(ゆっくり・ゆっくり)と

歩きだした。

  パグディンという村のロッジで一泊後、モンジョという村でトレッキング・

パーミッションの検閲を受け、サガルマータ国立公園の入園料として一人当り

650ルピー(約1400円相当)を納入した。帰路、もう一度ここで検閲を

受けることになっている。

  二日目からは、歌と踊りが上手くて陽気な若い女性ポーターが一名加わり、

私達のパーティは一段と活気付いた。しかし、標高差約500メートル上のナ

ムチェ・バザールまでの急坂には応えた。

  三日目、大晦日の日、朝から雲一つ無く、風もなかった。俗にいうピーカン

である。幸いにも、この状態が終日続いてくれた。十日程前に一メートルも積

もったという雪も、その後の晴天続きで積雪三十センチメートル位に減少して

おり、かなり歩きやすかった。

  シャボンチェという村の丘から眺める風景は絶品だ。その中でも、エヴェレ

ストは際立っていた。冬は乾期で雪が少ないため、黒々とした岩壁をピラミダ

ルに見せ付け、かつて海だったことを証明するイエローバンドもくっきりと現

れている。

  その右手には八千メートル台の高峰ローツェが立ちはだかり、続いて鋭い岩

峰のアマ・ダブラン、ぐっと近付いてタムセルク、そしてクスム・カングール

とそれぞれが個性豊かに屹立している。

  左手にはヌプツェの岩壁が望まれるが、実はこの山がエヴェレストを遮って

いるため、その全容を望めない。しかし、ヌプツェやローツェを従者のごとく

に聳えているエヴェレストは、岩壁を黒く光らせて神々の主座である威厳をた

っぷりと見せ付けている。

  この展望を求めてやって来たのだ。気が付くと、皆寡黙になって風景に呑ま

れていた。(平成九年十二月二十七日〜平成十年一月五日)