私の百迷山
                            斎藤 常栄

  昨今、百名山ばやりであり、深田久弥の「日本百名山」、「花の百名山」は

たまた今「ごんべろ」に投稿いただいた北澤さんには三百名山に挑んでいると

か。私も百迷山に挑戦したい。(したくない。)


会津駒ヶ岳

  営林署仲間10名で冬期、会津駒ヶ岳へ登った。登山口から不吉な兆候あり。

メンバーの一人が登山道を横切る水路に落ち、片足がびしょぬれとなったが登

ることとし、途中テント泊、翌日は視界不良、駒の小屋直下の雪田へと出た。

地元の営林署職員もおり、コースには自信あり、先頭のサブリーダについて進

むが迷ったようだ。しばらくして、サブリーダー『先行パーティーの踏跡があ

る』ホット一安心。やや行くが『どうも変だ!これは自分達の踏跡だ』リング

ワンデリング・・メンバーの顔が蒼白となる。その時、チーフリーダの一言、

『キャラメル舐めっぺ』、小休止、一瞬ガスが晴れ、駒の小屋と中間に赤布が

見える。急いで行動開始。ガスが晴れた駒の小屋から下方の踏跡を見たら赤布

を中心にきれいなS字を描いてコースをとっていた。


谷川岳
 
 谷川岳西面の赤谷川での合宿のこと。四名パーティで沢を登り、国境稜線に

出、地図上の不明瞭な点線の登山路となっているコースを、キャンプ地へ下山

することとした。稜線からは踏跡もしっかりしており下る。途中まで下ったら

一面の笹生地の中となった。

  沢へは絶壁で降りられない。前出のキャラメルのリーダーであり全幅の信頼

のしていたが、チーフリーダの心境はいかがだったか。無事下山。


那須から大白森、小白森、二岐温泉へ

  岳友会の正月合宿で、那須から二岐温泉へ抜けることとなって、旭岳付近か

らの下りであろうか。先頭は会設立当時からの会員であり、名誉のため仮に吉

野さんという名にしておこう。尾根を下っていると、ガスが晴れたら右方もう

一つ高い尾根があるではないか。長いトラバースが始まった。


安達太良山

  私が転勤で本宮町に住んでいた頃、故人となられた富川さんが、東京の友人

2名を連れて来られ、地元だからという事で私も案内に駆り出された。

  スキー場から、くろがね小屋のコースとし、残雪期で天候は晴れ、いい登山

日和である。山頂を越えた頃、ガスがかかってきた。くろがね小屋へ下る途中

雪面が急になってくる。こんなはずはない。私の気持ちはハラハラ、ドキドキ。

富川さんの友人などはついてくる。

富川さん、『こいつは何度も登っているから』。私は正直に『迷いました』。

もどって下山路を確認。ガスが晴れたところで、コンロでスキヤキ。スキヤキ

の味もまずかった。

  《余談》次女の名は、空見子。本宮で出生。武田鉄矢の娘さんの名が、空見

子に菜見子だとか。それに千恵子抄にあやかり、空(ソラ!)見た  子。


浅草岳

  97年、春スキーでの事。この辺までくれば記憶もしっかりしており、生臭

さも文章に入ってくる。

  4月下旬、入広瀬村五味沢から浅草岳に行った。山頂は生憎のガス、磁石を

たよりに滑行先の見当をつけ滑ると絶壁へとなる。先頭の人の磁石が凍り、9

0°狂う。一番おいしい斜面を逃してしまった。


会津蒲生岳

  98年夏、吉野さんと梅原さんと私、市民ハイキングで同パーティとなった

本間さん、板山さんご夫妻、7名で会津蒲生岳へご一緒させていただいた。蒲

生岳は標高828m。登山口から登山路、山頂が一望でき迷うはずもない。

急登を登り山頂へ。山頂では昼食とアルコール三昧。裏側へ200m程下山、

道がない。吉野、『ザイル持ってんだろう。下れ、下れ。』『ダメ、ダメ。急

で下れない』近頃の迷いはアルコールが主要因となってきた。

後日、地元の人に聞いたら、それは途中までのキジ場への道、とのこと。くさ

い話である。


  私の百迷山は、まだ五座しか数えられない。今冬、会員のみなさんと会津駒

ヶ岳へ登らせていただいた。風と深雪のラッセルで、途中までとなったが、し

ばらくぶりの冬山を楽しむことができた。あと一、二座は軽く笑えるような、

迷う山に登ってみたい。ちなみに植村直己の座右の銘は「常に冷静に」だそう

である。