重力と無重力
うえき たかし
朝は8時だというのに、窓の外の雪原はまだ群青に染められていた。山に目
をやると中腹の下の方まで雲が低くたれ込めている。リビングにあるホワイト
ボードに書かれた等圧線は何を教えてくれているか。外気温マイナス30℃。
気温を計るために置いたG―SHOCKの液晶が凍るほどだ。それでもヘリは
U字谷の底から我々と黒雲への不安を乗せて飛び立った。黒雲の中を徐々に上
昇していくと明るさが増していき、ついに太陽が顔を覗かせた。さっきまでの
不安は喜びに変わった。黒雲の上には青い空と白い斜面が広がっていたのだ。
爆音と雪煙が消え、我々は一つのコルに静寂とともに残された。その静寂は
次の瞬間、喜びの叫びに変わった。そこは氷河の源頭であった。
「ついてこい!」
ガイドが声とともに飛び込んだ。それに続いて広い氷河の上を落下していった。
深雪のスキーはゲレンデのそれとは一線を画す。ゲレンデでのスキーは「確
実に雪面を削っている、もしくは雪面に乗っている」感覚であるが、深雪での
スキーにおける「雪面」はただの形骸にすぎない。そこには重力と無重力だけ
が存在する。そしてその重力と無重力のやりとりが際限なく続くのだ。そのや
りとりは林間においてもっとも顕著である。
いつしか我々はオープンスロープから林間に入っていった。背の高い針葉樹
林が風を遮ったおかげで、たっぷりと蓄えられたパウダーの中はまさしく無重
力空間である。自分が舞いあげた雪で視界が奪われ、まるで「真っ白な紡錘状
の球体の中」にいるような感覚に包まれるからだ。
気が付くと、これ1本で既に標高差1000mを下ってしまった。ピックア
ップポイントで板を外し、腰までが雪の海に入りながら、遠くから聞こえるヘ
リの爆音に注意を払う。「次の1本がこれ以上になるかもしれない」という期
待が知らず知らずのうちに口元を弛ませた。