韓国狂時代
柏木 宏行
・・・あれからずいぶんと過ぎたものだ・・・。
93年8月。前の年、会津の病院に入院中に、友達になった山ちゃんと自転
車で韓国を旅することになった。彼は今までにも日本の東北地方や、タイ、イ
ンドネシアなどを自転車で走りまくっている強者である。ある日電話した時に
「俺、今度自転車で韓国行くんだけど、一緒に行く?」というので、「行く行
く」と二つ返事に話が進み、この旅は始まったのである。
あれは、韓国に着いて3日目。その日は朝一で照陽湖(ソヤンホ)を、船先
に竜の頭が付いている遊覧船でヤングまで行き、そのまま東へ東へと漕いで日
本海まで抜け、北朝鮮との国境まであと20qというところまで行った日の事
その日も朝から暑く、連日Tシャツにショ−トパンツで走っていたので、鼻
の頭、首筋、腕、腿、ふくらはぎと、とにかく日に当たるところ全てがえらく
真っ赤になっている。驚いたのは時計のベルトの穴の、直径2ミリ程が日に焼
けていたことだ。地図を見ると一山越さなければならず遊覧船を降りてからと
いうものずっと登り。この辺は空気がカラッとしていて過ごしやすいのだが、
さすがに汗がしたたり落ちる。「まったくやんなっちゃうなぁ」と思いながら
も、ただひたすらにエッチラオッチラと漕いで行くしかないのであった。山ち
ゃんの足の具合はすっかり良いらしく鼻歌なんか歌っている。(僕はというと
実は足の骨は全然付いておらず足に埋めた金属の棒が辛うじて骨の代わりをし
ているだけなのだ。病院の先生には内緒で来たので、骨の状態が悪くならなけ
れば良いなぁと切に願うばかりである。)エッチラオッチラ、なんだ坂こんな
坂、エッチラオッチラ、頑張れ頑張れ、エッチラオッチラ、エッチラオッチラ
、、、、やがてどの位漕いだ頃だろうか。(なにしろ段々勾配がきつくなって
きて時計を見る余裕もなかったのだから。)やっとの事で峠の頭に着いたのだ。
「あぁこれでつらい登りもやっと終わりかぁ。」そう思うと今までのつらさが
一転、最大級の喜びに変わった。さらに道路のすぐ脇には小さな滝もあり、汗
だくになった体を休めるには絶好の場所であった。僕たちはしばらくの間そこ
で滝に打たれてみたりガブガブと水を飲んだりして身体にエネルギ−を蓄えて
いった。
やっと汗も引いた頃、再び走り始めた。登りも急なら下りもまた急で、ほっ
ておくとどんどんスビ−ドが出てしまうし、つづら折りになっているため転ん
で足に埋めた金棒がヘノッと曲がってしまったら大変なことになってしまうと
思うと下りはなかなか神経を使った。そのうちアルプススキ−場あたりに来た
頃だろうか。にわかに雲がかかってきたかと思うと雨まで降ってきたのだ。そ
れも土砂降りのが。もちろんカッパを着たのだが、外側は雨で、内側は汗でび
しょびしょ。あまり役目を果たしていないように思える。それにしても韓国の
ドライバ−はなぜあんなにクラクションを鳴らすのだろうか。まったく! そ
れも、日本で言うところの挨拶程度の「プップッ」と言うのじゃなくて「ブ−
ブ−ッ ブ−−ッ ブッブ−」とやけに嫌味たっぷりなやつ(に聞こえる)。
はじめは交通のじゃまなのかと思ってはじっこによけていたのだが、道幅も狭
いわけでもなく、僕達とすれ違うのにも全然余裕があるにもかかわらず、後ろ
から抜かしていく車の10台中6〜7台は「ブ−ブ−ッ ブ−−−」と100
mも後ろの方からやり始めるのだ。「あぁこれが韓国なんだなぁ」とあまり気
にしないようにしていたのだが、つらい登りを大汗流して漕いでるときも、又
土砂降りの中一生懸命走ってるときも、彼らはお構いなしに「ブ−ブ−ッ ブ
−−ッ ブッブ−」とやってくるのである。
いいかげんこちらも耐えきれなくなって、「うるせんだぁ このデレスケ野郎
ぉぉ!! 静かに走れぇぇ!!」と走り去る後ろ姿に思いっきり怒号を浴びせ
かけてやるのだ。ざまぁ見ろ。思い知ったか!
そのうち大雨もおさまりはじめ、もうすぐ日の入りになろうかという頃、日
本海が見え始めた。海沿いに少し北上すると一軒の民泊(ミンバク)を見つけ
た。雨上がりの庭先では、7歳くらいの女の子とお母さんがフラフ−ブをして
遊んでいた。聞けば部屋も空いているというので、今日の宿をここに決めた。
と、こうあっさり書くと韓国人との意志の疎通がすんなりいっている様に思わ
れるだろうが、言葉がなにしろ全然分からないので身振り手振りでこちらの言
いたいことを何とか伝え、相手の言ってくることについては、全体的に伝わっ
てくる雰囲気から、 ??もしかしてこう言ってるのかなぁ?? と勝手に解
釈しているわけだから、ほんのちょっとした会話も、とても時間が掛かってし
まうのだ。こんな時でもさすがにあちこち旅している山ちゃんは、とてもジェ
スチャ−がうまいのだ。僕が身振り手振りで全然伝わらないことも彼がやると
相手は大きく頷いてこちらが要求していることをやってくれたりするのだから。
部屋に入りデロデロになったアメ−バの服をはぎ取るように脱ぎ捨て、防水
バッグから乾いたのを出して着ると、やっと、ほっと一息つけたという感じに
なった。そんな所へ僕達に何か話しかけながら、手に何かをぶら下げてさっき
のお母さんがやってきた。そのまま部屋の隅まで行き、ぶら下げてきたのをふ
たを開けて床下にセットすると、また僕達に何か言って母屋に帰っていった。
1時間もすると床が少しずつ暖かくなってきた。これがオンドル初体験であっ
た。今は8月だし、全然寒くはないのだけれど雨でぐしょぐしょになった僕達
を見て気を使ってくれた様だった。その心がとてもありがたかった。だんだん
腹も減ってきたので、近くの食堂に行き、そこで夕食を2人分(1人で2人分
ということね)詰め込み、パンパンになった腹を抱えて(どうりで食堂のお姉
さんが「やめなさい」と言うようなゼスチャーをしていたわけだ)宿に帰り、
すっかりなついてしまったフラフープの女の子と遊んでいたのだが、一日の疲
れがやがて眠気に変わり消灯となった。床はまるで小春日和の縁側にいるよう
で、ポカポカと気持ちが良かった。外では又、土砂降りになり出した。
夜中何時頃だろうか。寝苦しくて寝苦しくて、うなされる様に目を覚ました。
背中がジリジリと熱い。どうやらオンドルが過熱しているらしい。それでも眠
さが熱さに勝っているうちは、毛布を下に敷いたり真横になってなるべく床に
触れないようにしていた。それにしても山ちゃんはさっきからピクリともしな
いがよく平気だなぁ。と思っている矢先、「あっちぃぃ!」と飛び起きた。ど
うやら彼も我慢していた様だ。「どうやって寝たら良いだろう」なんて言って
るうちにさらに過熱は進み、真夏の砂浜かそれ以上と思われた。なにしろ素手
ではとても触れないくらいなのだから。部屋の中もムンムンとサウナの様、僕
達は「あちぃ あちぃ」とどうにも居られず縁側に飛び出た。外は相変わらず
バケツの水をひっくり返した様。しょうがないのでそこに寝っ転がり外をずっ
と見ていた。エントツからは、暗闇に負けない真っ黒な煙と、血しぶきの様な
真っ赤な火の粉が渦を巻きながら、狂ったように噴き出ていた。「これはもし
かしたら台風だねぇ。でなきぁこんなに降るなんておかしいもん。明日は残念
だけど停滞にしよう」
空が白々とする頃オンドルの勢いも治まり、僕達は深い眠りについた。
・・・あれからずいぶんと時が経ったものだ・・・
あれから韓国が病みつきになり、毎年のように行っている。
98年晩夏。今、目の前に見えるあのジャンボで、今年も又韓国に行くのだ。
あの時とまったく同じやり方で。