栗駒山山行記
                            久保 周二

  栗駒山は、岩手・秋田・宮城の三県にまたがる火山群で、日本200名山に

数えられる山である。この山は、岩手県では須川岳、秋田県では大日岳、宮城

県では駒形根よ呼ばれ、今日では、栗駒山が一般的なようである。標高は16

27mである。コースも、1時間強で登れるコースから深い原生林の中を5時

間かけて山頂に至るものまで、変化に富んだコースが数コースあるのが特徴で

ある。

  私が、今までに栗駒山を訪れたのは2回である。

  始めて訪れたのは、平成9年8月10日だったかと思います。特に何処へ行

くと決めた山行ではなく、東北方面へと印南、東と元会員の飛島、水上と私の

5人は、岳友会の渡辺さんから借りたワンボックスカーで東北道を北へと飛ば

しました。第一日目は、雨と風のせいもあり、みんなで登るか止めようかと、

優柔不断のなか、秋田駒ケ岳を歩きました。8月初旬というのに、風雨により

寒くてまったく視界不良の中で、きれいな筈の高山植物もほとんど見れない山

行でした。その夜は、秘湯の夏油温泉に一泊して、翌日、特に決めてはいなか

った栗駒山へと向かいました。

  いわかがみ平の登山口に到着した時は、また、前日同様の悪天候(強風)の

せいもあり、どうしようかと言いつつも、せっかく来たのだからということで

中央コースから山頂を目指すことにしました。このコースは、今では、観光コ

ースになっているようであり、登山というよりはむしろハイキングという感じ

で、レストハウス前のコンクリート敷きの歩道が山頂手前まで続いており、東

栗駒山を巻くように潅木帯を行き、小さな草原を過ぎると、約1時間で山頂に

たつことができました。

  帰路は、せっかくなので、少し登山らしく東栗駒コースをとることにしまし

た。強風の中、草原状のところを早足で下って行きました。初めは、稜線の南

面を歩いていた為、単なる強風程度でしたが、東栗駒山の手前の稜線上まで来

ると、まともに北風があたり、単なる強風をはるかにしのぐ台風にも似たもの

になり、立っては歩くことができなくなり、岩や低木に捕まりながら這いつく

ばった状態での下山となりました。そして、下山中、東さんの「メガネ飛ばし

事件」が発生したのでした。あまりの強風で、私もメガネを片手で押えつつの

下山でしたが、東さんのメガネが強風で、空高く舞い上がって飛んで行ってし

まったのでした。私は、どうにかその二の舞いは免れました。以前にも、強風

の中の山行は、那須岳、安達太良山でも経験しましたが、今回のような風は初

めてでした。そんな訳で、這いつくばった状態での下山がしばらく続いた後、

ようやく沢筋に出て強風を避ける事ができるようになりました。その後は、沢

沿いに少し進んで、それから、悪路の樹林帯の中を下山して、再びいわかがみ

平の登山口に到着しました。今、思い返しても本当にすごい強風だったと思い

ます。

  下山後は、麓の駒の湯で汗を流しました。この年齢になると、山は、やはり

『すばらしい山と温泉と地元の名物を食べる事』がセットになっているのがベ

ストであると思います。そんな訳で、入浴後、私たちは、東さんの発案により

『牛たん』を食べる為に仙台へと繰り出しました。訪れた店は『るるぶ』にも

掲載されている店で、外にお客が列をなして並んでいました。牛たんとそのス

ープ、そして、お新香というシンプルな定食でしたが、これがまた、ご飯が進

んでしまう美味しさで、一同納得でした。今回の東北方面山行は、山行として

のレベルは決して高くはありませんでしたが、『山と温泉と美味いもの』の3

点セットの満足の山行でした。

  栗駒山を2度目に訪れたのは、平成10年9月20日の登山教室の時でした。

今回は、北側の須川温泉から昭和湖を経てのコースでした。

  南側の中央コースに比べると登山らしい落ち着いた穏やかなコースでした。

登山道は、低木の中の遊歩道からはじまり、少し歩くと、名残ケ原にでました。

このあたりは、登山口あたりよりは紅葉が進んでいました。木道を過ぎると登

山道らしくなり、まもなく、自然観察路を経て、小沢を渡り、少し登ると青く

輝く昭和湖にでました。昭和湖からは、やや急な支尾根上の道となり、やがて

県境主稜線に飛び出し、須川分岐に着きました。ここからは、山頂が望め、尾

根道を20分ほど登ると山頂に到着しました。少し早い紅葉ではありましたが

山頂には、学生を含むたくさんの登山客でにぎわっていました。昼食後、帰路

は1回目と同じ東栗駒コースを進みました。コースは同じでしたが、今回は強

風はなく、草原状の道を気持ちよくたおやかに下りました。登山教室の参加者

も下りコースがとても気持ち良かったと言っていました。天候による山の違い

をあらためて感じた山行でした。

  後になって思ったのでしたが、この山行が、私が富川さんに会った最後とな

ってしまいました。この紙面を借りて、あらためて、心優しく大きな人間であ

った富川さんのご冥福をお祈りいたします。

  最後に、宮城県北部の志波姫町で朝な夕なに栗駒山を仰ぎ見て育った、シン

ガーソングライターのみなみらんぼうは、『ちょっと山へ行ってきます』とい

う著書の中でこう言っています。『古里の栗駒山は、やっぱり僕にとってはも

う一つの母親のような存在である。帰省すると今も「ただいま」と頭を下げる

山である。』と・・・・・・。