ムシャリの咲く釈迦ケ岳
小林 充
県民の森の分岐を過ぎたころ、霧が出て来た。牛乳のような乳白色の濃い霧
だった。昔見た映画を想い出した。濃い霧の中で待ち伏せに会い、全滅するス
トーリーだった。ヘッドライトの先は、ほとんど見えなかった。牧舎小屋跡付
近まで来たら、霧が薄くなって来た。「この位なら登れるで」登るにつれ青空
も表われ、大間々の駐車場に着いた時には、空はすっかり晴れわたり、最高の
登山日和となった。矢板方面は見事な雲海となり、仙人でなくとも、歩けそう
な雲だった。大勢の観光客は歓声をあげながら、シャッターを押していた。登
山カードを書き、歩き始める。水場からの登りには、若い頃の苦い想い出があ
る。職場の同僚の誕生日が三月三日だったので、山で御祝いをしようと、計画
をした。コースは山県農場から登り、「ミツモチ」をへて、鳥羽の湯へ下りる
つもりであった。途中から降り出した雪も、本降りとなる。水場で昼食のラー
メンを食べる。ラッセルは膝上から腰位まであり、全身・真っ白。雪は激しく
降り雪は深くなるばかりであった。「ミツモチ」へは肩から下りになる。所々
に赤と白のブリキ板が打ち付けてあるので、コースから外れる事は無いと思っ
た。北西の風が強く、耳がちぎれるほど痛かった。装備は「おそまつ」寒くて
寒くて仕方がなかった。風にあおられ身体は自然と風下に向けて歩く様になる。
そのうち、コースを見失った。ラッセルも胸までとなり、だんだん尾根を離れ
て行った。どの辺りを歩いているのか、誰もわからなかった。予定ではもう鳥
羽の湯についている時間である。水の無い沢に下りた。うす暗くなる頃、ナタ
目を見つけた。その時は皆、これで助かったと思った。炭焼小屋についた。住
んでいた親子に道を尋ねた。赤滝まで一時間だという。家には、夜九時頃帰り
着いた。遭難寸前の青春の1頁であった。・・・・
風はすずしく、若葉の緑が目にやさしい。咲き始めた「ショウジョバカマ」
が一輪・ピンク色も鮮やかである。八海山でアンパンを一つ食べる。千五百三
十m付近は、丁度「アカヤシオ」が満開である。振り返ると南斜面に多くの赤
ヤシオが群生している。新緑の淡い色の中に、白い花が目立つ様になって来た。
尾根道から谷底を見ると、よけい目に付く。白い花は釈迦ケ岳の登りまで、点
々と咲いている。下山してから調べたら「ムシャリ」という木の花であった。
スッカン沢には、山肌をけずった林道が長々と続き、痛々しさを感じる。林の
中には残雪もあり、汗をかいた身体には雪の冷たさが気持ちいい。笹の中の急
斜面に手すりがわりのロープを取り付けていたら、親子連れが下って来た。仲
のよい親子なのか、若いお母さんのはしゃぐ声が楽しい。最後の登りは苦しい
が大木をくぐると、鶏頂山からの道と合わさる。左へ5分ほどで、釈迦ケ岳、
千七百九十四mの山頂である。関東平野は雲海の中である。会津の山々は展望
が素晴らしい。釈迦ケ岳山頂の道標は前回、取り付けた私の手作りであるが、
ひっそりと立っている。簡単な昼食を済ませ去り難い思いの山頂から、重い腰
を上げ、鎌を振るいながらムシャリの咲く長い尾根道を下る。