追悼                      
                        会長  小林 充
 
 一九九八年一二月二十四日、印南から富川君の訃報を電話で聞いた時、私は

唯々驚くばかりで、この事実を受け止めるのに多くの時間が必要でした。

先日(十二月五日)行われた矢板岳友会の忘年会にも、新銘柄の「雷様」(栃

木県ではライサマ)の酒を持ってきてくれ飲んで食べて騒いで帰ったのに!

あまりにも突然の事で残念という事しかありません。富川君とは一緒に登山し

たことは少なかったのですが、古い写真の中に五月の飯豊山が出て来ました。

メンバーは斎藤、松尾、富川、大谷、吉沢、小林の六人で皆若かったです。石

転び沢の雪渓上にテントを張り、途中で摘んだ「フキノトウ」が夕食の肴でし

た。五月晴れの稜線は雪もしまって楽しかったです。三国岳から地蔵山のナイ

フリッジは雪もくさって、大変緊張しました。しかし、二泊三日の春山の飯豊

は最高の山でした。富川君はその後、家業の蔵元が忙しくなり一緒に登る機会

が無くなりました。酒造りも彼の努力が実り、全国酒の品評会では毎年毎年、

金賞を受賞、太郎と花子ではテレビ放映にもなりました。試飲所を開設してか

らは、矢板岳友会の新年会、忘年会、壮行会とあらゆる行事にお世話になり、

会の集会場になってしまいました。富川君は公私とも何を頼んでも、嫌な顔も

せず面倒見の良い人でした。年、数回行われる登山教室のリーダー、いつもま

とまりの良いグループで指導もよくとても好評でした。三年目に入る八方ケ原

から釈迦ケ岳の登山道のササ刈りも草刈機を肩に参加して頂き本当に頭の下が

る思いであります。私が手打ちソバを作るようになってから飲み会の時に出す

ソバの準備はこちらで恐縮してしまうほど用意してくれます。「会長、私が母

屋を改造してソバ屋を開店しますからその時はソバを打って下さい」とそんな

事まで言われ、私も老後の夢を楽しく見ることが出来ました。忠愛もこれから

ますます発展する時、富川君も色々、夢をもって居ました。近くの道路が拡張

工事に入り、交通の便が良くなると、大型観光バスが来るので、その時はあそ

この土地を駐車場にして沢山のお客さんにこの「九分」に来てもらうのだと眼

鏡の奥がキラキラ輝いていました。十一月に女房を連れて立ち寄った時始めて

だったので、蔵元の内部を丁寧に案内していただきました。惜しい人をなくし

ました。本当にありがとう。今はただ至福の時を与えてくれたかけがえのない

富川君に感謝するのみである。私達の良き仲間である富川君、私達は貴方を忘

れる事はないでしょう。心からの、ご冥福をお祈り申し上げます。

いつかある日又山で逢いましょう。

合掌