仙人通信A{三塩軌道} 岩道を登り詰めると、崖の下に僅かな広場があり黒金山方面とバス停方面を示す道標がある。 足元には黒く光るレールが2本、土や木の葉に埋もれてあった。直ぐしゃがみ込み、レールに 触れてみた。冷たさの中に温もりを覚えた。「又会えましたね、何年ぶりかね、」 秋も深まった11月9日に西沢渓谷に散策に出かけてのことである。木の葉は殆んど散り落ちて 石楠花の緑の葉と、岩陰に十文字草の小さな葉のみが目立つ、そんな小道である。 今日の散策は西沢渓谷の南側に敷設されている「三塩軌道」を今一度見たくてやって来たのだった。 「三塩軌道」は昭和20年から昭和43年まで森林の木材運搬に使用された軌道で、山肌を抉り2m 足らずの平地を作りそこに敷設されたトロッコレールである。よって山の凹凸に合わせてくねくね と小さな沢を回りながら麓へと繋がり、当然トロッコは小さなデーゼルエンジンの軌道車が牽引す るのである。安全と言う面では危険極まりないものである。 話を戻しますが、昭和42年4月3日、今から40年程前のことである。 乾徳山から黒金山に登る目的で徳和の部落を出て、乾徳山山頂で休憩してから西に足を運んだ 南斜面は殆ど雪も無く歩き安かった。オオダワの手前で杉林に足跡を見て、足を踏み入れたのが間 違いであった。下山するに従い雪は腰までとなり、ふと気が付くと西沢渓谷の前記の軌道まで降り てしまっていた。 山で道に迷えば元に戻るのが原則であるのに、この軌道を見て山麓に辿りつけると考え、軌道に従 い降りる事を決めてしまったのだ。しかし進むにつれ緩んだ雪が雪崩れとなり、この軌道を埋めて いた。オーバーシューズの上にアイゼンをしっかり取り付けて、ピッケルでカチカチに凍った雪崩 れの雪を削り取りスタンスを作っての下山となった。バランスを崩せば、渓谷に向かって滑落する しかないのである。(誰も助けに来てはくれない、そんな事が頭を過ぎった) 夏であれば1時間ぐらいの道程にも係わらず4時間近くを費やしてやっとの思いで灯りの点いた 広瀬ダムに午後6時位に到着した。手は潰れたまめから血が滲んでいた。 今では、観光用の綺麗な橋が30個所近く小さな沢越しに架けられて歩きやすくなっていた。 しかし放置された橋脚やレールは茶色く苔むす谷底に放り出され無言で40年の月日を語っていた。 この黒く光るレールに勇気と温もりを貰いながら帰路についた。 写真中央の線が残されたレール