仙人通信49  越前岳(1504m)

双子玉の低気圧による雪のプレゼントで、我家から見える丹沢の蛭ヶ岳も青空に白く光る。
愛鷹・越前岳からの真白な富士(50銭硬貨の)を見たく、東名を走った。国道469号の愛鷹山登山
口の看板から林道に入り、冠松次郎の石碑のある山神社の鳥居を潜って黒岳に向かう。鳥居から20
分程は敷き詰められた茶色い杉の葉に、風に煽られ落ちた緑の杉の葉が見事なコントラストの絨毯
だ。落葉樹の緩やかな登りと成った時、見事な青い羽のルリビタキが目の前を低空飛行して山の中
に消えた。オレンジ色のウメモドキの実を啄ばんだらしい。小さな鉄製の2段の階段を上ると
「あしたか山荘」だ。山荘の手前に銀明水と書かれた水場があり、冠松次郎がこの水を絶賛したと
説明書きがあるので、手で掬い口にしてみる。鳥居を潜ってから40分程で黒岳と越前岳の分岐に着
く。黒岳(1086m)へは杉林の中を30分程でピストンだ。時折、裾野演習場の砲弾の炸裂音が山の
静かさを破る。20分程で富士山が望める山頂に着く。「何て謂うことだ」あんなに綺麗だった富士
山が5合目以上は雲の中なのである。気を取り直して、分岐まで戻り越前岳に向う。ローム層に5
cm程の霜柱が2段に積み重り、踏むと音と共に靴が潜る。子供に戻り足の感触を楽いんで登る。
40分程して鋸岳展望台に出る。雪に覆われた水墨画状の鋸岳は威風である。新田次郎の短編で男女
が転落死した小説「愛鷹山」は、位牌岳の手前が舞台だった事を思い出しながら、しばし眺めた。
一面の雪となったので、念のため軽アイゼンを着けた。きゃ〜きゃ〜云いながら降りてくる女子大
生らしい2人が、小生の前で突然尻餅を突いた。何とアイゼンすら付けて無いではないか、怪我の
無い様にと見送った。お目当ての富士見台に着くも、雲は依然と変わらず富士山にへばり付いてい
る。雲の下左奥には、天守山地の毛無山がその奥には北岳・鳳凰だろうか白く光って見える。
小さな花芽を付けたアセビやリョブそして若木のブナが多く春を待つようだ。黒岳から約2時間
で2等三角点の越前岳の山頂に立った。若かりし頃、十里木から愛鷹山塊を縦走した事があるが、
越前岳山頂が随分痩せている気がした。大瀬崎から御前崎までの駿河湾の水面に日の光が当り、
キラキラと輝く。富士川の河口そして浜石岳や十枚山、手前には天守山地、奥には南アルプスが一
望できた。今日は呼子岳の下の割石峠から大沢爆裂火口の沢沿いに駐車場まで3時間で下る予定だ。
東に大沢・西に熊谷爆裂火口があり、山頂から割石峠までの稜線は、急な痩せ尾根である。凍結し
た雪道、躑躅に捉まり慎重に下る。25分程で小さなピークに着く、紅く色付いたイワカガミの葉が
一面に有るではないか。あの時のピンクの花の記憶が蘇り、ただただ喜んだ。呼子岳(1313m)は
360°の展望である。60万年前に富士山のベースとなる小御岳、その後16万年前に、この山頂も造ら
れたのだ。愛鷹は火山であった事を、この山頂で実感した。割石峠からは、両側の岩が迫る暗い沢
(大沢爆裂火口)の雪道を、皆さんが積んだケルンを頼りに、ルートを確認しながら下った。
コンクリート製の大沢橋を渡った時、コゲラが木を叩いて迎えてくれ、嬉しくなった。(H19.1.9)