仙人通信E(菰釣山:1379m)

 丹沢山塊の北西の端に菰釣山はある。山らしくない名前であるので気になっていたら、ガイドに
武田信玄の小田原[北条氏]攻めの際の情報連絡から、莚旗を山頂に揚げたことに由来するとある。
狼煙を多用した信玄らしくて真に受けそうな説明である。
道志の道の駅より三ヶ瀬川に沿って進み、キャンプ場の駐車場に車を止めて、この川に沿う西沢林
道を、瀬音を聞きながら40分程歩く。12月半ばであり山野草は見当たらないが、赤土の土手には
「山ショウビン」が巣営の為に掘ったであろう穴を見つけた。山の中に入った感じがした。
林道・川底ともに角張った玄武岩が9割近くを占め、残りはグラノファイアである。一般の川で見
かける丸い砂礫は無い。
丹沢はかつて全体が海底火山であり、1000万年前に隆起が始まり、秩父古層群を押し上げて150万年
位前に現在の位置に収まったとある。因みにその後70万年前に伊豆半島がドッキングしたと神奈川
県博物館発行の本にある。火山であれば、水蒸気等が吹き上げたカルキ状の沸石の痕跡が玄武岩に
付いていないものか探しながら歩いた。僅かであるがその存在を確認した。
沢の近くでキラキラ光る猿の頭大の物を見つけた。よく見ると石の周りに付いた苔の先端に無数の
水滴が付き、それに太陽光が当り、虹色に輝いていたのだ。冬を感じる情景だ、マクロで一枚シャッ
ターを切った。道標に従い登山道に入った、山頂まではここから50分位か。
檜林を登ると、又先ほどの沢の頭に出た。さらに沢沿いに登ると、グラノファイアが風化したガレ
場に出た。柔らかい道には、鹿の踏み跡や糞が見られる、きっと山越えをして水場に来たのだろう。
やがて九十九折の道は熊笹の茂みに突入した。北風が吹くと熊笹がカサカサと鳴り、梢はシューと
叫ぶ、そろそろ尾根道である。尾根一帯は丹沢屈指のブナの原生林である。30分程で山頂に立った。
そこにはコバルトブルーの空に冠雪した富士山が現れた。眼下には山中湖・石割山も良く見える。
富士山と石割山の間には、鳳凰三山・北岳・濃鳥岳が白く光る。5分間隔位で銀色の飛行機が頭上
をかすめ富士山の北側を小松や関西方面に飛んで行く。落葉した大きなブナの木が枝を大きく伸ば
して私を抱いていてくれた。「このすばらしい絶景を自分一人占めできるなんて、この上ない幸せ
である。」
武田軍は小田原の情報をこの山から何処に送り、韮崎に届けたのか、遥かなる山並みを眺め考えた。
下山途中に先ほどの苔を確認したら、そこにはもう雫は無かった。帰りに菜畑山(1283m)に
登った。山頂から道志川が日の光を受けて輝いていたが富士山は雲に遮られ見ることは出来なかっ
た。「残念」。

(菰釣山山頂のブナ  h16.12.21)