栃木県南地区山岳協議会インドヒマラヤ登山隊1996報告書
「遙かなるヌン峰」より

栃木県南地区山岳協議会インドヒマラヤ登山隊が組織され、1996年7月21日から
9月1日にかけてカシミール州ヌン峰(7135m)の北稜からの登頂が試みられました。
矢板岳友会からも、中里 健一君が参加しました。
報告書「遙かなるヌン峰」が発行されましたので、中里君の文章を掲載します。



レーの町を見下ろす

ムーンランド
ABCからC2間の岩場にて
各写真はクリックすると拡大できます
北稜にて ヌン峰を仰ぐ

  遠き頂よ
                               仲里 健一

 高校時代から始めた登山、誰よりも強くなりたくていろいろ無茶をしてきた。あの

日から2年が過ぎヒマラヤの話が飛び込んで来たとき、私は押さえ切れない興奮と感

情にかられた。いつか“ヒマラヤに行ってやる”と思っていた自分にチャンスがやっ

て来たのだ。

 8月18日 我々はC3に居た、アタックだったこの日も吹雪のため停滞し残り少

ないガスと食料の節約と寒さに耐えながらある決断に迫られていた。その決断とは

「アタックの人数を減らす」ということだった。C3に入って居る6人の中で(シェ

ルパを含めて)私だけヒマラヤの経験が無くアタックは諦めていた。しかし話の結果、

私がアタックできることとなった。次の日、アタックを目の前に無言で去って行く姿

を見ると、涙がたまらなく溢れた。心の中で「何故、俺が」と繰り返しながら。

 8月19日 今日も外は吹雪だった。寒さに耐えながらテントの中でポォーとして

いると、ある本の一節が浮かんだ「俺の体力はもういくらも残っていない…テントの

中で酸素不足と寒さに凍えながら死を待つのはいやだ…だが、山頂に背をむけて降り

ながら死ぬのはもっといやだ。だから俺は頂上を目指す」と…。

 8月20日 朝から天気は思わしくない。しかし、ラストチャンスに賭け“頂”を

目指した。氷壁を越え、ラッセルに耐え…。しかし、無情にも頂には達しなかった。

「これですべてが終わったんだ、これで…。」と、自分に言い聞かせながら、凍傷に

なり掛けた足を引きずり、頂を後にした。

 今、辛くも過ぎ去った40日間を思い出している。今では遠くなってしまったヌン

峰、想像でしかない頂。私の思いはあの頂に届いただろうか?そして、その思いが届

いたときに私は、ヒマラヤの頂に居ることだろう。

     さらばヌン峰よ…永遠に…



登山隊員名簿

No 役職 氏名 担当 所属山岳会
1
隊長 梅山 義弘 総務
通信
渉外
栃木富士産業山岳部
2 副隊長 長  繁夫 渉外
登攀
医療
アップル同人
3 登擧
隊長
粂川  章 登攀
渉外
総務
グループ・ド・モネージュ
4 隊員 竹沢 雄三 装備
登攀
グループ・ド・ミソジ
5 隊員 稲垣 圭子 食料
会計
小山山岳会
6 隊員 新井 皓一 輸送
梱包
食料
きったて登高会
7 隊員 新井  純 会計
記録気象
アップル同人
8 隊員 半田 好男 渉外
総務
通信
きったて登高会
9 隊員 中里 健一 輸送梱包
装備
矢板岳友会

  中里 健一