1999年 1月30日(土)〜31日(日) 茶臼岳周辺  

茶臼岳から見た三倉・大倉山 茶臼岳の岩氷
1月30日(土)〜31日(日)
・茶臼岳周辺
・浅川浩三(単独)
・1月30日 曇りのち晴れ
    前日、那須に宿泊したが宴会があったので出発が遅れ、大丸を出たのは10
 時半を過ぎていた。出発の身支度をしていると、15人位の大勢のパーティが
 先発した。後で分かったことだが黒磯警察の冬山救助訓練とのことであった。
 ここに来るのは1月5日以来のことだが、既にスキー場はオープンし、沢山の
 人で賑わっているようであった。しかし、まだ例年より雪は少なく思われた。
  避難小屋で、快適な夜を楽しむため、テントを持参したので荷が少々重くな
 った。何時もの様に足場を安定するため、大丸からアイゼンを着けた。しかし
 茶臼岳周辺の散策が目的だったので、ピッケルは持たずに登山用のストックを
 持った。茶臼岳や朝日岳の山頂付近にかかっていた雲も切れ始め、時々日差し
 が雲に遮られる程度の登山日和となっていた。歩き始めると、冬山完全装備の
 ためか、汗が滲んできた。スローペースで歩くことを心がけて足を進めた。登
 山口にきて見ると、鳥居はまだ3分の1程度しか雪に埋もれていなく、石彫の
 狛犬もまだ頭を出していた。鳥居を過ぎ、尾根の登りになると、やっと積雪も
 増し、小灌木のブッシュが雪に埋もれ、歩きやすくなった。出発が遅れたため
 か、誰にも会うことがかった。いつものように樹林がなくなるあたりで、帽子
 を取り替え、厚手の手袋とオーバー手袋、それに目出帽を着けた。ガレバに入
 ると、石の間に雪がつまっていて、アイゼンがきいて快適に足を進めることが
 できた。先行した黒磯警察のパーティが遠くに見えた。
 風も意外なほど弱く、重い荷であったが、12時少し過ぎには峰の茶屋に着く
 ことができた。
  避難小屋の中は20人位の人がいたろうか。ほぼ満杯であった。外では寒く
 て休んでいられないので、混雑していても中に入ることにした。冬季用の入り
 口は小さいので、大きい荷を中に入れるのに、一人では苦労すると思っていた
 が、先行してきた黒磯警察の人が中から受け取ってくれたので、荷を簡単に中
 に入れることができた。今夜は奥の板の間に泊まる予定にしていたが、4人が
 昼食を取っていたので、広間でしばらく待つこととした。黒磯警察の人達は冬
 山救助訓練とのことで、登山の好き嫌いに関係なく、仕事として指示され、こ
 こに来たのだそうだ。登山をあまりしたことのない人にとっては、低山とはい
 え、厳寒の中では、さぞかし大変なことであろう。真剣な会話を聞いていると
 彼等の苦労が伝わってきた。
    しばらく休んでいると、奥の間の2人が昼食を済ませ外に出たので、荷を奥
 の間に入れた。まだ残りの2人は昼食を取りながら歓談していた。クラッシッ
 クな灯油のコンロを使用していたのだが、そのコンロが真新しいのだ。聞いて
 みると今でも製造されているとのこと、世の中には色々な好みの人がいるもの
 だと、感心させられた。今夜の宿泊の準備を済ませ、昼食とした。昼食を取り
 ながら、彼等と山の世間話をしているうちに、私がホッカイロを忘れて来たこ
 とを口に出すと、親切にもミニホッカイロを4個もくれた。おかげで、この夜
 は快適に過ごすことができた。年齢と共に、足の冷え性が気になるこの頃であ
 る。単独行をしていて、楽しいことの一つに、見ず知らずの人と知り合いにな
 ることだ。
   昼食を済ませた隣の二人が小屋を出たので、奥の間にテントを張り、宿泊の
 準備を完了させた。外を見ると雲も随分切れて、風もおとなしくなってきたの
 で、3時を少し過ぎていたが、茶臼岳山頂周辺を散策に出かけることにした。
 小屋の外に出てみると、気温が意外と低く、ザックに着けた寒暖計を見ると
 −7℃を示していた。
   避難小屋から茶臼岳山頂に向かって、200m位先に行ったところのガレバ
 の岩氷は、まだ私が期待しているほど大きく成長していなかった。登山道を外
 し、あちこち散策しながら山頂の北峰に着いた。まだ、三倉大倉山から雲が取
 れずに残っていた。山頂西側一帯の爆裂火口壁には、強い西風で水蒸気の噴煙
 が叩き付けられてできた、見事な岩氷が西日に輝いていた。しかし、この岩氷
 をじっくり見るには、冷たく、強い西風をまともに受ける場所に立たねばなら
 なかったので、楽なことではなかった。辛抱の甲斐あって、日没直前、夕日に
 染まった岩氷が寒さを忘れさせてくれた。日も沈んだので急ぎ下山し、避難小
 屋に戻った。小屋に入ると既にヘッドライトが必要なまで暗くなっていた。
  今夜は誰も泊まらないと思っていたが、2人の先客がいた。広間のテーブル
 に一人、奥の間の私のテントの隣に一人、夕食の準備をしていた。私の隣の人
 は、写真撮影が目的で、東京から車で来たとのことだった。夕食を済ませ寝袋
 にもぐり込んだのは8時頃だったと思う。この時、二人は既に寝入っていたよ
 うだ。昼食の時もらったホッカイロを靴下の中に入れて寝たので、快適な夜を
 過ごすことができた。

・1月31日(日)小雪のち晴れ
    夜中の12時頃トイレに起きた時は、空には殆ど雲もなく、月が凍てつく夜
 空に輝いていた。夜明けが待ちどおしい思いであったが、5時近くに起きてみ
 ると小雪がちらつき、風も昨夕より少し強くなっていた。朝日を望める状況で
 はなかった。仕方なく、明るくなるまで寝ていることとした。7時頃だったと
 思うが寝袋から抜け出し、朝食の準備に取りかかった。相部屋の一人も朝食の
 準備を始めた。彼と話しているうちに、山と山岳写真について意気投合し、話
 が弾んでしまった。山で出会った人と意気投合できたときは実に楽しい。彼は
 もう還暦を過ぎているとのことであったが、元気そのものだった。そんな訳で
 朝食を済ませ、下山の身支度をして避難小屋を後にしたのは9時半を過ぎてい
 た。この時間になると風も弱くなり、日も差してきて、重い荷であったが楽に
 歩くことができた。樹林帯に入る少し手前で、いつもの山中間の一人がとぼと
 ぼと登ってくるのに出会った。立ち話を済ませ急ぎ大丸に下山した。ほぼ1時
 間を要した。

 〈回想〉今回の散策で、当初の目的を半分位しか満たすことができなかったが、
    見知らぬ人と意気投合し、楽しい一時を過ごす事ができたのは、何より
    の収穫であった。今後とも人との出会いを大切にしていきたいものだ。