2000/2/26〜27 高原山縦走
釈迦ケ岳山頂より西平岳 | 釈迦ケ岳山頂より剣が峰 | 釈迦ケ岳山頂より剣が峰 |
中岳より釈迦ケ岳 | 釈迦ケ岳山頂 |
期 日 :’2000年 2月26〜27日 行 先 :高原山縦走 メンバー:斉藤、浅川 撮影 :浅川 高原山などと軽く考えていましたが、日光や那須の山と遜色のない積雪があり、しかも先行者のト レースが全くなく、2日間たっぷりとラッセルを強いられました。 2月26日(土)薄曇り 学校平から鶏頂山スキー場に抜けるため、先ず2台の車で鶏頂山スキー場の駐車場に行った。 スキー場まで道路に雪は全くなかった。駐車場はがら空きで、かつての賑わいの面影もなく、リフト が辛うじて1本動いているだけだった。バブル時代、この近辺に次々と大きなスキー場が作られたた め、客足が急速に減ってしまったのだろうか。私の車を駐車場の片隅に置いて、斉藤さんの車で県道 を通って学校平に着いた。学校平から大間々台への道路は除雪されていなかったが、車が時々入って いるらしく、どうにか小間々台まで車を乗り入れることができた。夜のうちに雪が降って、帰りが面 倒になるかも知れないと思い、荷物を小間々台に置き学校平に車を置いて来ることにした。 9時10分、学校平を出発する。気温は高く、氷点下をほんの僅か下回っているだけであった。 空はどんよりとした高曇りで時々薄日の差す程度であった。小間々台に30分程で着く。ここからリ ックを背負うことになり急にペースが落ちた。更に30分程で大間々台に着いた。積雪は40cm位 あるだろうか、それ程多い雪ではなかったが、駐車場はすっかり雪に覆われていた。剣ヶ峰登山口ま ではスノーモービル跡と思われるトレースがあり足が雪にもぐることもなかった。しかし、登山口の 鳥居から先は、トレースが全くなくなり一気に深雪となってツボ足では歩けなくなった。早速、カン ジキを着ける羽目となった。少しでも楽をしようと忠実に登山道を辿ることにした。 しかし、意外と雪は深く登山道はほとんど確認できなかった。樹林帯を抜け、八海山神社近くのガレ バ帯に来てやっと雪が少なくなった。このあたりは強い風を受け雪があまり積もらないのだろう。 八海山神社で小休止して、剣ヶ峰に向かった。ガレバ帯を過ぎるとすぐ深雪となった。樹林帯に入 るカンジキを着けても腿位いまでもぐり、急にペースが落ちた。 12時丁度、通称剣ヶ峰山頂(1,539m)に着いた。ここまで来ると積雪量も多くなり、那須や日光 の山に劣らぬ雪山となっていた。気象条件の影響なのであろうか、ここから携帯電話が使用できるか 否か確認してみたが通話できなかった。20分程の昼食休憩を取り更に足を進めることにした。 相変わらずどんよりとした高曇りで、時折薄日が差す程度であったが、風もなく、視界が遠くまで あり、登山としては申し分ない条件であった。しかし、この時期の山としては氷点下そこそこと気温 が高く、きついラッセルと相まって、汗を絞られることとなった。地図上の剣ヶ峰(1,540m)直下 をトラバースして、最低鞍部に下りると、いよいよ深雪の本格的な登りとなった。尾根筋には小規模 ながら雪庇が、行く先々に待ちかまえていて、これを越えるの度に体力を消耗した。岳友会が設置し たロープは雪に埋もれ確認できなかった。この急斜面を登り切ったところで、斉藤さんが遂に足を吊 ってしまった。私の足も吊る寸前の状態であった。小休止をしてペースを落とすことにした。 深雪のラッセルは、自分では気付かぬものだが、真綿で締め付けられるように疲労が蓄積されるもの だ。斉藤さんはベテランらしく吊り気味の足をだましだまし前へ進めているようであった。 3時までには釈迦ヶ岳山頂に着くと思っていたが、予想以上に雪は深かった。釈迦ヶ岳への最後の 急登は、強風が吹き付け雪はあまり付いてなく、氷結していると思っていたが、予想は全く外れた。 ここは、厳冬の季節風に対し風下となっていて、ここまでのルートで一番の深雪となった。足はもぐ り、灌木に行くてを塞がれ、雪を手で掻き落としながらの登りとなった。一つの雪庇を越えては小休 止した。4時、何とか鶏頂山分岐に着いた。この時間になると、標高も高くなったのか気温が下がり 汗もあまりかかなくなっていた。ここから山頂近くまで、コメツガの樹林となっているが、予想以上 に風が強いらしく、樹林には樹氷がびっしりと付いて幻想の森となっていた。 4時20分、やっと釈迦ヶ岳山頂に着いた。きついラッセルを耐えての登頂を二人で喜んだ。 山頂は強風のためか、積雪はあまりなかった。空はどんよりと曇り、既に辺りは薄暗くなり始めて、 微かに日光の山々が見えるだけだった。早速、小林会長に携帯電話をかけてみたが通じなかった。 小休止の後、山頂から少し戻り、北西の風を避けるため東側に少し下りたところにテントを張った。 テントの中に落ち着いた時は、既にヘッドライトが必要になっていた。冬山で、テントに入ったと きは本当にほっとする。今日は、一日中ラッセルを強いられなおさらのことであった。550ccの ポットに僅かに残ったお湯を飲んで喉を癒した。冬山でポットを空ににすることなど滅多にないこと である。有り難いことに斉藤さんがワインを持ってきた。早速、乾杯とした。渇き切った喉にワイン が流れると全身に生気が走るようであった。 テントの中で酒を飲みながらの山談義は幾つになっても楽しいものだ。テントの外に出てみると東 下方に町の灯りがチカチカと見えた。しかし、上空には雲が掛かってきたのか、星は一つも見えなか った。明日はあまり良い天気にならないかも知れない。9時少し前寝袋に入った。 2月27日(日)曇り時々晴れ 1時少し前、トイレに起きてみると月明かりがテントに差し込んでいた。外に出てみると昨夜の雲 は消え、空には星が一杯輝いていた。心配していた天気も、これで保証されたと安心して再び寝袋に もぐり込んだ。 まだ熟睡している斉藤さんには悪かったが、早朝撮影のため5時に起床した。彼も最近写真を始め たとのことで、岳友会に写真仲間ができてこれからが楽しみである。寝起きにと、コーヒーを沸かし た。熱いコーヒーを飲むとすっきりと目が覚めた。早朝の釈迦ヶ岳からの撮影を目的にテントを6時 に出た。山頂の少し手前で日の出となった。6時13分であった。空には雲一つなかったが、すっき りしていなかった。東の空も春霞のように透明感がなく太陽が赤くぼんやりと見えた。撮影にはあま り良い条件とはいえなかった。それでも太陽が昇るに従い、光も強まり山頂周辺の雪が赤く染まった 。昨夜のうちにできた霧氷が朝日にキラキラと輝いていた。しかし、日光の山々は光が弱くぼんやり と見えるだけで真っ赤に染まることはなかった。 撮影を終え、テントに戻り朝食とした。起きてからしばらくして食べる食事はうまい。 8時45分、テント場を出発する。釈迦ヶ岳山頂に荷物を置いて中岳に向かった。山頂からの下りも カンジキを着けていてもラッセルとなった。下る途中、斉藤さんが鞍部にカモシカが一頭いるのを見 つけた。かなり大きな雄シカだった。しばらくこちらをじっと見ていたが、深い雪の尾根を駆け上り 樹林の中に消えた。我々は、下りのラッセルにもヒイヒイ云っているのに、カモシカは走って尾根を 駆け上がった。野生の逞しさに改めて驚かされた。 釈迦ヶ岳と中岳の鞍部には4〜5メートルの雪庇ができていた。ここからはコメツガと落葉樹林の 密な混合林となり少々歩き難くなった。 ピークを一つ越えて中岳最後の登りに来ると、垂直に近い10m位の急な痩せ尾根となっていた。 雪が付くとこんな状態になるなどと予想もしていなかった。東側に雪庇が張り出し、西側は密な樹林 で切れ落ち通れない。樹林がなかったらザイルでもほしくなるところだ。雪庇が崩れないぎりぎりの ルートを辿るしかなかった。ここを登り切った所で小休止とした。二人ともハアハアと激しい息をし た。お互い、顔を見合わせ大笑いしてしまった。 9時40分、中岳山頂に着く。無雪期と違って視界は随分良かった。振り返ると今来た釈迦ヶ岳が 大きく見えた。いつの間にか空には雲が多くなっていた。ここから、西平岳はまだ遠かった。この雪 の状態では、往復3時間は確実にかかるだろう。計画では西平岳までピストンする予定であったが断 念することにした。9時50分、中岳を後にする。トレースを後戻りするのは随分楽であった。 10時25分、釈迦ヶ岳山頂に戻ることができた。山頂から更に少し戻り、鶏頂山への分岐点からは 再びトレースは消え深雪となった。ここから先は、もう20数年足を踏み入れていなく、状況など全 く記憶の片隅にもなかった。 分岐点からいきなり急な下りとなった。短い部分であったがコメツガの樹林の中であっても強い北 西の風が吹き付けるのか、雪が殆ど付いていない場所があった。カンジキだけでは、すべって足下が 不安定であった。しかし、ここを通り過ぎると再び深雪となった。木の枝に僅かに残された目印を頼 りにほぼ登山道なりに足を進めることができた。分岐点から下り切った鞍部からも樹林帯の中を行く ことになるが、藪が雪で隠れているためか見通しは良かった。無雪期には考えられないほど奥深い山 の中にいる思いがした。ラッセルはきつかったが登山の充実感を静かに味わうことができた。 11時50分、釈迦ヶ岳寄りのスキー場への分岐点に着く。ここには錆び付いた標識があった。 ここからほんの少し先まで足を進め、昼食休憩とした。いつの間にかすっかり曇り空になり気温が下 がってきた。30分程休憩し、鶏頂山に足を向けた。鶏頂山側の、地図で示されているもう一つのス キー場への分岐点は直ぐ近くのはずであったが、疲れも出てきたためか思いの外遠くに感じた。 ルートは行く手左に野沢を見下ろしながら崖っぷちを行くことになる。何年か前、万病に効く鉱水が 出ると言うことで、この崖の下方まで多くの人が通ったと聞く。あげくの果ては遭難者まで出る騒ぎ となり、立ち入り禁止となったとか。その名残りか、厳重な策が作られていた。その策にも分厚い雪 が被り、崖には雪がたっぷりと付き今にも雪崩が起きそうにも見えた。 12時35分、分岐点に着く。良く目に付く真っ赤な標識があって、ここが探していた分岐点であ ることが直ぐ確認できた。そして、この標識の下を見るとスキー跡があった。スキーのトレースは山 頂へと向かっていた。これでやっとラッセルから解放されると思いほっとした。荷物はここに置いて 、ナップザックにポットとカメラと軽食を詰め込んで山頂を往復することにした。スキーのトレース を忠実に辿った。しかし、トレースはほんの僅か登った所で終わっていた。深雪で急登のため引き返 したのであろう。結局自力でラッセルしなければならなかった。山頂までの登りもきつかった。 3〜4mの雪庇を両手で崩しながら何カ所も越えなければならなかった。しかし、コメツガの樹林に はべっとりと雪が付き、幻想の森と化していた。自然の織りなす造形は時には息を呑むような姿を見 せてくれる。こんなに間近な山で原生の息吹を味わえるなどと思っても見ないことであった。 1時15分、鶏頂山に着いた。鳥居をくぐると、そこには立派な神社があった。ここまで無事で来 られたことに感謝し帽子を脱いで静かに手を合わせた。記念撮影を済ませ、山頂を早々に後にした。 雲がすっかり厚くなり、中岳や西平岳は雲に覆われ、小雪が舞っていた。分岐点からの登りにはきつ いラッセルを強いられたが、トレースの後戻りはあっけないものであった。分岐点からは余分な体力 を極力使わぬようにと、スキーのトレースを辿ることにした。 しばらくは一人分のトレースしかなかったが、途中から複数の人のトレースとなり、カンジキを着け た足は殆どもぐることはなく快適に足を進めることができた。このトレースのお陰で、神経を使って ルートを探す必要もなく、ラッセルも少なくなりほっとした。トレースが全くなかったら僅かな目印 探すのに苦労し、いつまでもラッセルを強いられ、ほとほと疲れていたことであろう。 2時35分、スキー場の上端に着く。ここはどうやらメイピルヒルというスキー場らしい。 20数年前のスキー場とは大きく違い、どのコースを下ったら鶏頂山スキー場の大鳥居に出るのか皆 目検討がつかなかった。スキーヤーに聞きながらコースを確認した。途中でコースを一つ間違えてい ることに気付き隣のコースに移動したが、既にツボ足となっていたため、最後の最後までラッセルを 強いられる羽目となり、二人で大笑いをしてしまった。 3時25分、昨日車を置いた鶏頂山スキー場駐車場に着いた。スキー場のレストハウスに立ち寄り 、二日間の労をねぎらうためビールで乾杯した。小さな縦走でもこんなに充実した山行ができるとは 思いもよらなかった。 このスキー場のリフトは4時に止まるとのこと。レストハウスは日曜日にもかかわらず4〜5人の客 しかいなかった。かつての賑わいはどこに行ってしまったのだろう。ガラガラのレストハウスの中で ビールを呑んでいると、縦走を終えた充実感と、世の移ろいの空しさが交差し複雑な思いとなった。 [反省] 1.冬の高原山を過小視していたが、立派な雪山であった。あの雪の状態で吹雪かれれば二人だ けでは、かなりきつい山行となっていたであろう。 2.テントがナイロン製だったので、内側に水滴が付き、シュラフカバーを持っていかなかった ためシュラフを少し濡らしてしまった。 [コースタイム] 2月11日 学校平(9:10) → 小間々台(9:40) → 大間々台(10:10) → 剣ヶ峰(12:00〜12:20) → 鶏頂山分岐(4:00) → 釈迦ヶ岳(4:20) → テン場(4:40) 2月12日 テン場(8:45) → 釈迦ヶ岳(8:55)→中岳(9:40〜9:50)→釈迦ヶ岳(10:25)→ 下山分岐・釈迦ヶ岳側(11:50〜12:20) → 下山分岐・鶏頂山側(12:35) → 鶏頂山(1:15) → 下山分岐・鶏頂山側(1:40) → スキー場(2:35) → 鶏頂山スキー場駐車場(3:25)