我慢して読んで下さい。このホームページをご覧の方は自作好きな方ばかりと思います。
「能書きはいいから早く回路図や写真を載せて!」とお思いでしょうが、どう飾り付けようとも
原始的な回路の鉱石ラジオです。製作者のこだわり抜きでは味も素っ気もありません。
少々おつき合いをお願いいたします。
もう45年も前の話です。
小学校4年生の時「理科クラブ」の3人で秋葉原にラジオを買いに行きました。
翌日理科室で半田鏝を借りて作ったものの、何故か私だけが感度が悪く、付属のロッドアン
テナでは何も聞こえませんでした。電灯線アンテナでは何とか聞こえる事から先生は「これ
でいい」とにべもない対応。これが電気屋になる「我が一生の不覚」の始まりでした。
私の子供の頃は、給食費も払えない家庭がクラスに数人は居た時代でした。「生めよ増や
せよ」で出来た子供達が一斉に小学生になり、学校も不足するし食料もまだ十分ではなく、
脱脂粉乳の替わりにほうじ茶が出ていました。
我が家には(というよりほとんどの家庭には)テレビはなく、夜はラジオが唯一の楽しみでし
た。
夕方、遊びから帰るとラジオの前に座って(間違いではありません。壁の上の台に載せられ
たラジオを見上げながら、兄弟3人で)いつもの声に耳を傾けました。
「金リス銀リス マーガリンでお馴染みの、アサヒデンカがお贈りする少年探偵団!」日に
よっては、「アデカ石鹸提供、少年探偵団!」というのもありました。
その後、我が家でもテレビが見られるようになりましたが、ラジオが生活の中心には変わり
ない時代でした。そんな折り、ラジオが自分で作れると言う話に飛びついた結果が、自分
だけが聞こえないというものでした。
中学生になり無線クラブに入って、ST管の「並三」や「高一中二」を作ってはハムの通信を
聞いては、自分でも電波が出せるようになればいいなと漠然と考えていました。
確か当時の試験は、電話級(今の4級)でも10問しかで出ない替わりに全て記述式、電波
法も丸暗記をする必要がありました。
無線工学も「A級、B級、C級増幅器の違いを述べよ」と言った案配でした。
その頃は理論も知らず、「実体配線図」に従って作るだけでしたから、「名前が違う。回路が
違う・・・。」と、今思い出しただけでも赤面する回答、結果は言わずもがな。
その後の人生はお決まりの電気屋稼業、某メーカーでカラーテレビの設計で長年飯を食っ
ていました。
ひょんな事から2年前に会社の同僚に勧められてアマチュア無線を再開したところ、忘れて
いたはずの件の「鉱石ラジオの悔しさ」を思いだし、名誉挽回、起死回生ということで、「聞
こえる鉱石ラジオを作ってやろう」と決心しました。
前置きが長かったのですが、いよいよ本題です。 |